どくとる・めも

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【公害】カネミ油症事件を考える【化学】

以前に書いたヒスタミン【有機化学】ヒスタミンとそれにまつわる生体反応 - どくとる・めも)に続き、身の回りの化学物質を考えるエントリ第二弾。今回は日本で発生した食品公害として、最も有名といっても過言ではないカネミ油症事件と、その原因となったポリ塩化ビフェニルダイオキシンを扱う。

目次:

事件の概要

カネミ油症事件は、西日本一帯で発生した食品公害事件である。1968年に最初の症例が報告されたのを皮切りに、1万人以上の人々が被害を訴えた。事件の名前にもなっている「カネミ」とは、カネミ倉庫株式会社を指しており、同社が生産していた食用油を摂取した人々に皮膚障害、頭痛、手足のしびれなど症状が現れた。
カネミ油症事件が世間に大きな影響を与えることとなった材料の一つとして、食用油を摂取した母親から産まれた胎児の写真がある。ショッキングな要素も含まれるので掲載は控えるが、私が見た写真では、腹部が石灰のように色白く変色し、かつ陰部が真っ黒になった男児が写っていた。消費者のみならず、子孫の代にまで影響が及んでしまうというのが、この事件の恐ろしさだ。

事件の原因

これほどの凄惨な被害は、なぜ発生したのだろうか? のちに、製造プロセスの途中で食用油中にポリ塩化ビフェニル(PolyChlorinated Biphenyl; PCB)が混入し、これがダイオキシン類へと変化したたことが原因であったと判明した。より正確には、ポリ塩化ジベンゾフラン(PCDF)が原因物質であったとされている。

2分子のベンゼンが架橋したものをビフェニルといい、ビフェニルの水素が塩素で置換されたものをPCBと総称する。塩素原子の数は1個から10個まで、多岐にわたる(図1)。

図1 PCB

これに対し、PCDFは図2のような構造をしている。PCDFは「ダイオキシン類」を構成する化学物質の一種であり、体重減少、胸腺萎縮、肝臓代謝障害などを始めとする様々な悪影響をヒトに及ぼすと考えられている。

図2 PCDF

PCBの化学的性質

そのような危険な物質がなぜ食料生産の現場で使われていたのかという疑問が生じるが、PCBは色々と便利な性質を有していたので、事件当時は様々な場面で利用されていた。具体的には、

・絶縁性を利用し、コンデンサなどの絶縁油として用いられていた

・高沸点であることを利用し、熱媒体として用いられていた

などが挙げられる。カネミ油症事件の場合では、食用油の脱臭を目的としてPCBを用いていた。本来であればPCBと食用油が直接接触することはなかったのだが、配管漏れが原因でPCBが油中に混入したことが原因とされている。

また、PCBの厄介な性質の一つとして、化学的安定性が高いということが挙げられる。すなわち環境中に一度放出されてしまうと、分解されないまま長時間にわたって残存してしまう。PCBのように高い残存性を有する汚染物質はPOPs (Persistent Organic Pollutants)と呼ばれ、これによる環境汚染を防止するため、2001年5月に「残留性有機汚染物質に関するストックホルム条約(POPs条約)」が採択された。日本もこの条約を締結しており、POPsの製造・輸入は法規制対象となっている。

事件の影響

先ほども少し触れたが、カネミ油症事件は直接的に食用油を摂取していない子や孫の代にも被害が及んでおり、事件発生から50年以上が経過した現在まで尾を引いている。このエントリを書こうと思ったのも、つい先日ニュースで事件のことを目にしたからだ。
本事件による被害を訴えた人数は14,000人なのに対して、国による認定患者は2000人強に留まっている。健康被害が遺伝していることを考慮すれば、実際にはより多くの人が健康被害を受けているだろう。発生したのが西日本だったため、特に東日本では事件の風化が進んでいるようだが、まだまだ根深い問題が残っている食品公害なのだ。

化学物質と人類

このブログではあまり私個人の主義心情は述べないようにしているのだが、これに関しては思うところを少し書き下してみようと思う。我々人類は、化学物質とどう向き合うべきなのだろうか?

私個人としては、人類は化学物質を積極的に活用していくことで、より便利で安全な生活を目指すべきだと考えている。「化学物質」の四文字にはやたらとネガティブな印象がつきまといがちだが、そんなことは決してないのだ。ペニシリンが単離されたことで、多くの人々が感染症の危機から救われた。農薬が登場したことで農作物の生産効率が向上し、我々の日々の食卓が彩られた。化学物質が我々の生活を豊かにしてくれていると言うことは、もはや疑いようのない事実である。

その一方、今回のカネミ油症事件のように、化学物質の誤用・濫用・悪用は、人類にとっての脅威ともなりうる。第一次世界大戦で使用された毒ガス、胎児の奇形などを引き起こしたサリドマイド、フィクションでおなじみ青酸カリ(シアン化カリウム)など、こちらも枚挙に暇がない。

そもそも我々人類の限りある知能では、世界中の化学物質を全てコントロールし、一切の危険性なく運用すると言うのはどだい不可能だ。だから、全ての化学物質は未知の危険性を孕んでいるという認識のもと、可能な限りの安全策を講じて化学物質を運用することが、人類には求められている。当初は安全であるとされていた化学物質が、のちに危険性が判明した事例、人類史の中で頻繁に発生している。

「無農薬」とか「保存料・着色料無添加」とかを売りにする食品が市場に出回るようになって久しい。私はこういう食品には懐疑的であり、安全性試験やリスク評価をパスした物質であれば農薬だろうが着色料だろうがどんどん使えばいい、そうする方が便利だというスタンスだ。しかし、無添加を大事にする生産者・消費者の気持ちを否定しているのではない。それらの化学物質が有する危険性が後々になって判明するかもしれない、避けられるリスクは避けるべきだ、というのは自然な発想だ。

いずれにせよ、現代において化学物質の一切を遮断して生活を送るということは不可能だ。化学物質に囲まれた世界に生きる我々自身が正しい知見を持ち、用法・用量を遵守すること、科学を正しく運用することが肝要と言える。

これまた私個人の信条で、かつ話の方向性がだいぶ逸れてしまうが、人類最大の「科学の失敗」は核兵器の使用・開発だと考えている。人類の科学に関する知識は、もはや自分自身をも滅亡させてしまう領域に到達してしまった。かのアインシュタインは、「第三次世界大戦ではどのような兵器が使われると思うか?」という問いに対し、「第三次世界大戦についてはわかりませんが、第四次大戦ならわかります。石と棍棒でしょう。」と答えた。氏の回答が実現されないことを祈るばかりである。

西日本で発生した食品公害の話がずいぶんとスケールアップしてしまったが、今日はここでお開き。