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【化学】世界初の抗生物質、ペニシリン【医学】

先日、学内でチーズ系のピザを食べる機会があった。複数種類のチーズがふんだんに使われていたのが、その中にはアオカビチーズも含まれていた。すぐにそれとわかる特徴的な香りは、人によって好みがはっきりと分かれるところだろう。

このままチーズ談義に持ち込むのも面白そうだが、やはり化学系の人間としては「アオカビ=ペニシリン」の図式が成り立ってしまう。今回は、世界初の抗生物質として大きな注目を浴びたペニシリンを取り扱う。

目次:

抗生物質とはなにか

医者にかかった際に、抗生物質を処方されることは珍しくないが、そもそも抗生物質とはどういうものだろうか?

全日本民医連のHP(くすりの話 2 抗生物質ってなに? – 全日本民医連)によると、「細菌などの微生物の成長を阻止する物質」とあり、細菌が原因となる感染症(肺炎レンサ球菌による肺炎など)に対して有効である。

クラリスロマイシン」という名前を聞いたことがある方も多いかもしれないが、これも抗生物質の1つであり、皮膚感染症、呼吸器感染症、耳鼻科感染症などに対して効果が期待される(くすりのしおり | 患者向けわかりやすい情報)。

ペニシリン発見の歴史

冒頭で述べた様にペニシリン抗生物質の1種なのだが、詳細な作用機序を議論する前に、どういった経緯でペニシリンが医薬品として利用されるに至ったのかという歴史的経緯を見てみる。科学の世界においては、意図しない偶然が思わぬ成果をもたらすという「セレンディピティ」の存在が時として重要な役割を果たす。ペニシリンの発見も、正にセレンディピティであったと言うほかない。

1928年、スコットランド生物学者Alexander Flemingは、黄色ブドウ球菌を培養皿に植え付けた後に、10日間ほどの休養を取った。この時、実験室内の気温は、ブドウ球菌が増殖不可能なレベルにまで低下していた。

その一方、階下ではアオカビが培養されていて、アオカビが放出した胞子が上階へと達し、ブドウ球菌の培養皿に着生した。ほどなくして室温が上がり始め、上階の培養皿の中では、ブドウ球菌とアオカビが同時に繁殖し始めた。

やがてFlemingが休暇から帰って来た時、培養皿の中では驚くべき事態が起こっていた。アオカビがブドウ球菌のコロニーを溶かしていたのだ。Flemingはブドウ球菌とアオカビが共存している培養皿を防腐剤の入ったトレーに捨てたつもりだったのだが、捨てた培養皿が防腐剤にちゃんと浸かっていなかったために、この発見につながったらしい。

要するに、上に述べたストーリーは、「なんか知らんけどアオカビがブドウ球菌を殺している」という事態が起こり、それをたまたま発見したのがFleming氏だったということである。

この発見を受けFleming氏は、アオカビがブドウ球菌を殺す化学物質を生産していると考え、その単離に取り組み始めた。Howard Florey氏やErnst Chain氏らによる協力の下、10年以上の歳月を費やして、ついにその化学物質を単離することに成功した。それがまさにペニシリンだった。

(日ごろからHPLCを使っている私としては、ここが一番気になる。どうやってペニシリンを単離したのだろう? 恐らく極めて原始的な粗精製を、気が遠くなるほど繰り返したのだろう。感服するばかりだ。)

以上のような経緯を経て単離されたペニシリンだが、その後すぐヒトへの有効性が確認され、1943年までは軍事目的で大量生産された。戦場においては、負傷した際の傷口や、劣悪な衛生環境などを原因とする感染症が問題となっていたのだろう。

ちなみにペニシリンという名称は、アオカビの学名Penicillium notatumに由来する。

ペニシリンの作用機序

それでは、ペニシリンはなぜ感染症に対して効果を示すのだろう? その作用機序を考察する。

結論から言うと、ペニシリン真正細菌細胞壁合成を阻害することで薬理活性を示す細胞壁合成にはトランスペプチダーゼという酵素が関与しており、この酵素の活性部位にはヒドロキシ基がある。このヒドロキシ基がペニシリンと反応し、酵素全体が不活化されることで、細胞壁合成が阻害されて細菌が死滅する、という仕組みになっている。

トランスペプチダーゼとペニシリンの化学反応を、もう少し詳細に議論しよう。ペニシリンは、「β-ラクタム系抗生物質」に分類される。ラクタムというのは環状アミド化合物のことを指し、中でも四員環アミドをβ-ラクタムと呼ぶ。実際のペニシリンの構造を見てみると、中央に確かに四員環アミドがあることがわかる。

図1 ペニシリン

そしてこのβ-ラクタム構造が、トランスペプチダーゼのヒドロキシ基と反応する。詳細な反応機構を図2に示すが、トランスペプチダーゼはエステル化されてしまうために活性を失う。本来、アミドの反応性はそれほど高くないが、四員環構造であるがゆえに、βラクタム部位は大きな歪みを有しており、これによって反応性が高められている。

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図2 ペニシリンとトランスペプチダーゼの反応機構

ところで「真正細菌」という単語がさらっと出て来たが、具体的にどういう細菌を指すのだろうか。Carl Richard Woese氏は1990年に、生物全体を分類する手法として3ドメイン説(図3)を提唱した。この説では、全ての生物は古細菌真正細菌、真核生物に分類される。最後の1つが真核生物であることからわかるように、古細菌真正細菌原核生物を更に二分したものになっている。

図3 3ドメイン

では真正細菌古細菌は何によって区別されるのかという疑問が生じるが、細胞膜の構成成分によって決められるようだ。グリセロ-3-リン酸の脂肪酸エステルからなる細胞膜を持つものを真正細菌と定義する。また、真正細菌は単に「細菌」とも呼ばれる。

ペニシリンと薬剤耐性菌

ペニシリンの持つ素晴らしい作用機序を眺めたばかりだが、やはり万能薬などは存在しないし、細菌側も座して死を受け入れたわけではない。不幸にも、このペニシリンに耐性を有する薬剤耐性菌が出現してしまった。

図2で見た様に、ペニシリンはβ-ラクタム部位を有しているからこそ抗生物質として機能する。ところが細菌側は、トランスペプチダーゼと似た構造を有するβ-ラクタマーゼという酵素を生産する能力を獲得した(図4)。この酵素は、β-ラクタムを加水分解によって開環してしまう。β-ラクタムを失ったペニシリンは、もはや抗生物質としては機能しない。

図4 β-ラクタマーゼによるペニシリン失活

さて、次に人間側のターンだ。耐性菌がβ-ラクタマーゼを使うならそれを阻害してやればいいということで、阻害剤との合剤とするなどして、耐性の問題を解決してきた。ところがこれに対する新たな耐性菌が再び出現し...(以下、細菌と人類の泥沼の闘い)

薬剤耐性菌の出現と新薬の開発はまさにいたちごっことでも言うべき状況なのだが、このいたちごっこがあるからこそ、医学・薬学が発展してきたともいえる。

(2021.06.03追記) 薬剤耐性については、こちら(【生物学】日和見感染症と緑膿菌【感染症】 - どくとる・めも)も併せてご覧ください。

ペニシリンの現在、結言

上に述べた様な薬剤耐性菌の出現などの問題も相まって、ペニシリン抗生物質は、現在では主力抗生物質として用いられる機会は減少している。しかしペニシリンの発見はまぎれもなく医学界・薬学会における大きなマイルストーンであり、その後の新型抗生物質開発への道を敷いた。

台所や風呂場では忌み嫌われる存在のカビだが、思わぬ形で人類に貢献してくれたものだと思うし、もの言わぬカビの生理作用を人類の救命に応用したFleming氏も極めて偉大だ。氏のような大発見をするのは困難であろうが、わずかばかりでも人の役に立つ研究成果を挙げたいものだ。