どくとる・めも

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犬の僧帽弁閉鎖不全症

今回の要点
1.僧帽弁閉鎖不全症により、実家の飼い犬を亡くす。
2.病院での診断から逝去まで約2年。初受診時点で、肺水腫を伴うステージCとの診断。
3.降圧薬および利尿剤での治療。保険未加入だったため、受診ごとに数万円を消費。トータルで50-60万程度の出費。
4.このエントリは、あくまで私個人の体験の共有を目的としたものです。ご自身の飼い犬の健康状況については、近隣の動物病院を受診してください。


目次

まえがき

久方ぶりの更新。犬の病気の話。

同じ病気を抱える犬の飼い主に向けて、わずかながら私が観察した事例を共有するとともに、この病気の原因・症状などを簡潔にまとめる。

先日、実家で飼っていた犬(雑種♀・中型・14歳)が逝ってしまった。その原因が僧帽弁閉鎖不全症だった。心臓病の一種である。

僧帽弁閉鎖不全症とはどんな病気か?

イヌの心臓もヒトと同じく二心房・二心室から成り、通常は血液の流れは一方通行となっている。これは、心臓の中に血液の逆流を防ぐ”弁”があるためだ。

中でも左心房と左心室を区切っているのが僧帽弁なのだが、とくに小型犬ではこの僧帽弁に病変をきたし、心臓が正常に機能しなくなるケースがある。

僧帽弁の閉鎖が不完全となった場合、血液が左心室から左心房へと逆流する。すると全身にめぐらせる血液量が不足するので、これを補おうと、心臓は通常よりも拍動回数を増やす。

拍動回数が増えた結果、僧帽弁の閉鎖が多少まずかったとしても、生命機能の維持には問題ない状態が生まれる。これが僧帽弁閉鎖不全症が怖い理由の一つであり、症状の程度が軽いうちは、目に見える異常を感知できない。

僧帽弁閉鎖不全症は、その進行度に応じて、(症状が軽い順に)ステージA, B1, B2, C, Dの5段階に大別される。

発症した場合の余命は、むろん発覚時の進行具合に依存するが、肺水腫や重度心不全を伴う時点から投薬治療を開始した場合、平均余命は半年~8, 9ヶ月とするデータが散見される。 また、好発年齢が8~10歳前後であることから、平均寿命を大きく下回っていても死亡につながる恐れがある。

ただしこれは、あくまで投薬治療の場合、という点に注意されたい。実際には、外科手術によって僧帽弁閉鎖不全症を治療するという選択肢もある。
一方で、技術的な制約から、実施可能な病院数は限られているほか、高額な治療費が必要となる。根拠のない憶測ではあるが、投薬治療を選択する飼い主の方が多いのだろう。

上記の一般論を踏まえ、我が家の場合はどういった経過をたどったか、以下にまとめる。

我が家の場合

  • 2010年代後半

とくに異常があったわけではないが、年齢のためか食欲が低減。1日2食が1日1食になる。

  • 2020年春ごろ

最初の異常発覚。前触れなくパタリと倒れ(失神)、その際に尿失禁を伴う。しかし1,2分するとすぐに立ち上がり、また動き回る。

  • 2020年4月

動物病院にて、肺水腫を伴うステージCの僧帽弁閉鎖不全症との診断を受ける。フォルテコール※1の投薬開始。

  • 2020年夏ごろ~

フォルテコール投薬が功を奏したためか、失神の頻度は減少するが、完全には無くならない。また、咳を伴うようになる。
咳はかなり高頻度で、具体的に数えたわけではないが、ひどい時は1日に数十回~100回ほどあったと推測。

  • 2020年秋〜冬ごろ

失神・咳の頻度はほとんど変化なし。しきりに水を飲むようになる※2。適度に様子を見ながら給水。空になった容器を何度も舐めるなどしていたので、かなり喉が渇いていたのだろう。

  • 2021年3月

筆者、実家を離れ上京。そのため、以降の記述は断片的。この間、病状はかなり悪化していた様子。

  • 2021年末

実家に帰省。このころには痩せが顕著になり、背中を撫でると背骨がはっきりとわかるようになっていたほか、呼吸に伴って肋骨が浮き出るのを目視できた。
その一方で、腹水※3によりお腹が膨満するので、背中側は痩せてお腹側が太るというアンバランスな状態に。
また、足元がおぼつかなくなり始めた。失神とは違うが、突然バランスを崩して尻もちをついたり、寝そべった状態から立ち上がるのに苦労したりする様子が見て取れた。

  • 2022年3月

2回目の帰省。見た目的には、ほとんど症状に変化なし。

  • 2022年5月初旬

3回目の帰省。息苦しそうにしており、浅い呼吸を何回も繰り返す。寝ることもままならない様子。咳をしても漏れるのはかすれた吐息のみであり、ゴホゴホという声はほとんど聞こえなかった。



前日まで散歩するなど元気を見せていたのだが、私が東京に戻った次の日の朝、実家の母から訃報を聞いた。なので私は死を看取ったわけではなく、最期にどういった経緯をたどったのかは十分に把握できていない。このあたりは、また後日加筆できればと思う。

不運だったのは、かかりつけの獣医師さんがコロナウイルスに感染してしまったことだ。これにより動物病院が臨時休診となり、予定されていた胸水除去ができなかった※3。誰が悪いわけでもないのだが、誰も悪くないからこそ、なんともやりきれない気持ちになってしまう。

また、ペット保険未加入だったことが災いして、受診するたびに懐がさびしくなった。これもきちんと勘定したわけではないが、トータルでの出費は50-60万ほど。
もちろん命は金に代えられるものではないが、金がなければ命を支えられないのも事実であり、なかなか難しい。

結果として、我が家の場合は、ステージCとの診断を受けてからの余命はちょうど2年ほどだった。

※1: フォルテコールは、ベナゼプリル塩酸塩を有効成分として含むACE阻害薬である。血管を拡充させることで血流をスムーズにし、心臓の負担を低減する。体内ではアンジオテンシンIIという物質が産生されるが、これは血圧上昇作用を有している。アンジオテンシンIIはアンジオテンシンIから合成され、その合成反応を司っているのがアンジオテンシン変換酵素ACEであるから、ACEを阻害することでアンジオテンシンIIの産生量を低減し、血管を拡充させることで降圧薬として機能する。

※2: 心臓と腎臓は、互いに密接に関係している。腎臓は血液中の老廃物を尿へと変えて排出する器官なので、僧帽弁の病変の結果として血流量が減少すると、尿の生産量が減少する。
そこで尿量を増やそうとして、犬は水を欲しがるようになる。しかし実際には、飲水量を増やしても心臓の病変は解決しないので、尿量は増えない。
そのまま尿を生産できない状態が続くと、腎不全を引き起こす恐れがある。

※3: 心臓にたまった血液は、行き場を求めて他の部位へと流れていく。流れ着いた先で、毛細血管から血液中の水分が漏出し、水がたまっていく。
これがお腹で起こった場合は腹水となり、肺で起こると胸水となる。肺に水がたまると、呼吸に支障をきたす。これが肺水腫である。
すなわち、僧帽弁閉鎖不全症は心臓病であるものの、結果的に肺や腎臓といった他の臓器にもダメージを与える。

闘病を終えて

以下は、私と彼女の生前の思い出をつらつらと書いているだけなので、読み飛ばしてください。


難治性の病気を抱えながら2年も生きたという事実は、心に訴えるものがある。先に書いた平均余命なども考慮すると、実家を離れて上京する時には、もう会えないのではとも思っていた。

しかし懸命な闘病の結果、帰省した私を3回も迎え入れてくれた。母によると、かかりつけの獣医さんから「よく頑張っている」との言葉をいただいていたそうだ。

ただ、結果的にはこの頑張りが、私の油断の原因となった。年末年始に会えた、3月に会えた、5月にも会えた、そして散歩できるほどの元気も残っている。

また盆には帰ってこよう。その時には迎え入れてくれるだろうと、そう考えてしまった。気を抜いてしまった。本当は、そんな保証など、どこにもなかったというのに。

私の油断をあざ笑うかのように、天は彼女をさらっていった。哀痛の極みだが、その一方で、これで良かったのかもしれないという思いもある。闘病が長引くほど、苦しむ時間も長引くのでは、という懸念があったからだ。

彼女の苦しみはいかばかりであったか、私には想像するより他にないが、呼吸困難で眠れぬ夜を過ごすというのは相当なストレスだっただろう。投薬治療も、単に彼女の苦しみを引き延ばしただけだったのではないか、という行き場のない念もある。

薬の味もあまりよろしくはなかったようで、餌と一緒に与えても、食べてくれないということがあった。工夫を凝らしてなんとか食べてくれた時に、私はたいそう喜んで彼女を撫で回したが、それも私が一人で勝手に喜んでいただけかもしれない。



病気になる以前の彼女は、かなりパワフルだった。散歩に連れて行こうものなら、脱兎のごとく駆け回り、しかもあっちに行ったりこっちに行ったりを際限なく繰り返すものだから、はたから見てると気が狂ったとしか思えないほどだった。

室内でもそんな感じなので、実家のリビングの床には、彼女の爪でつけられた傷跡があちこちに残っている。また、そのパワーで自宅リビング内に突入した際に、ブラインドの一部を破壊してしまった。そのパワーの原動力は、どこかで鍛えたとしか思えないほどに隆起した前脚の筋肉にあったというのが、私の見立てだ。

その裏で、大変な寂しがりやだった。多くの飼い犬がそうなのかもしれないが、外出のために着替えなどの支度を始めると、途端にしおらしくなり、もの哀しげな目でこちらをじっと見てくる。まさに後ろ髪を引かれる思いであった。

そうして自宅に戻ってきた時、彼女の耳は折りたたまれ、尻尾を勢いよく振り回し、上述のパワーを発揮して暴れまわる。


臆病な子でもあった。訪問業者などが自宅インターホンを鳴らそうものなら、テンプレのようにワンワンと吠え立ててみせた。その度に私がなんとかなだめようとするのだが、玄関に向かって仁王立ちをして、ずっとそちらを見つめながら吠えるのをやめなかった。

また、理由がわからないがバランスボールをひどく怖がっており、物置から取り出したバランスボールと対峙すると、そそくさと物陰に隠れていた。無機質な巨大球体に、どこか不気味な要素があったのかもしれない。


金とも茶ともつかない毛が全身を覆っていたが、首からお腹にかけて、帯のようにまっすぐにのびる白い毛がとても印象的だった。私が帰宅すると、決まってヘソ天をするので、その白い毛がいっそう目立つ。しばらくお腹をなでてやると立ち上がるが、またすぐ寝転んで、「もっとかまえ」と催促した。


晩年には、そうした仕草の多くが失われてしまった。頭のネジが外れたように駆け回ることも、見知らぬ人に吠えることも、寝転んでアピールすることもなくなった。
あれだけ右往左往していた尻尾が、病状が進行するにつれて、後ろ脚の間に収まるようにしなだれる時間が増えた。それに加えて、浮き出る背骨や肋骨、浅く速い呼吸、繰り返す咳。彼女が大変な苦痛に苛まれていることは誰の目にも明らかだった。

彼女を撫でているときであっても、咳き込みは容赦なく襲ってくる。しかし彼女はそんな時、いつも私から距離を取って、背を向けながら咳き込んでいた。そして咳が落ち着くと、また私のところに戻ってくる。まるで体調不良を気取られまいとするような仕草だった。その光景を見るたびに、自身の無力を痛感した。

病魔は、彼女のアイデンティティを確実に奪っていき、とうとう彼女の存在すらも奪ってしまった。私が帰京して間も無く逝ってしまったことが、また別の後悔を引き出す。あと1日あれば、最期を看取ることもできたのではないか。それともこのタイミングを選んだのは、今際を見せまいとする彼女の意思だっただろうか。


改めて感じる。動物病院の受診を躊躇してはいけない。我が家の場合も、結果的にステージCでの診断となったので、発覚がかなり遅れてしまった。

それは、明確な症状が出ていなかったころに、どうせ何事もないだろうとあぐらをかいていたためだ。自覚症状の有無に関係なく、定期的に検診を受けることが、ペットにとっても飼い主にとっても非常に重要なのだ。


14年という決して短くはない時間を、彼女と共に過ごした。まぎれもなく、彼女の存在は私の人生の一部となっている。
彼女が我が家の一員になった時に中学生だった私は、いまや30目前となっている。私自身は彼女のことを、騒がしくも憎めない犬だと思っていたが、彼女は私をどう見ていただろうか。


訃報を聞いたのは5月5日、こどもの日だ。あちらこちらで掲げられた鯉のぼりが、晩春の青空を泳いだだろう。今となっては、苦しみを乗り越えた彼女の心身もまた、暖かな春の青空で安らかに眠れるよう祈るばかりである。


2年間の闘病、お疲れ様。そして、家族になってくれて、本当にありがとう。